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haiirosan's diary

散文とか

SLOW SWALLOW 1

「私だけが2015年大晦日にいる」――燦々と輝く白い太陽、鋭いナイフのような冷たく乾いた風、気温は恐らく6℃くらいの真冬にいるという意識は最早、肉体が感じる温度すらも支配している。視界に映る、アスファルト上で踊る陽炎、今にも倒れそうな老婆による巻き水の光景は、瞬く間に記憶の彼方へと消えていった。

 都内にある小さなショッピングモール、私は他人から浴びせられる痛い視線から身を守る様に、マフラーやコートを着込み買い物などをする。私の周りを歩く人々は皆、半袖やシャツ、サンダルといった、暑さを少しでも緩和する服を身にまとっているにも関わらずだ。嘲笑や囁き声が私の居る空間に満ち満ちて、古い携帯電話のカメラがあちこちでシャッターを切っていた。さらに警備員や好奇心に満ちた子供の群れが距離を置きつつも私の跡をつけてくる。だが、そうした他者の悪意や違和感に晒される時間も私にとってはほんの数分でしかない。

 何時の間にか夜の帳が世界に降りている。気づくと、目の前のテーブルの上には、折り重なった天麩羅や寿司の空箱、伸びきった蕎麦が僅かに残されたどんぶり、そして空になったビール瓶が数本置かれていた。ベルトのキツさ加減や魚の脂で濡れた指先から、目の前にあったはずのご馳走や酒が、胃の中にすっぽりと収められているのだろうと思った。水滴が乾ききった瓶、湿気そうな天かす。私のアタマから、恐らく数時間前の食事の記憶が抜け落ちている。

 午後九時、纏わりつこうとする蚊の羽音、ひぐらしの啼き声が、閉め切った部屋の静寂を冒そうと間断なく響き続ける。虫の鳴き声を掻き消そうとテレビをつける、真夏の避暑地特集、心霊番組、夏バテ防止グルメ……どれもこれも冬にはやらない番組ばかり、しかも、映像の中の避暑地は私の記憶の中では、2004年、カルト宗教による生物兵器を用いたテロで多くの人々が死傷し、それ以来閉鎖されている場所であるはずだ。また、心霊番組に大物ゲストとして出演している、霊能者・Aは2014年に詐欺罪で逮捕され、それ以降メディアには一切姿を表していないはず……。

 乱反射する極彩色の光、きれぎれに流されるポップスやロック、それらの色や音に装飾されたテレビが映し出す虚偽の世界では、犯罪者や廃墟と化した場所が堂々と画面の中でのさばっている。それとも、テレビの中では忌まわしい事件も欲望に満ちた事件も起きていなかったのか、私の記憶の中で起きていることになっていただけなのか……。壁にかけられた真新しいカレンダーに目をやる。向日葵を写した風景写真の上に無機質に刻まれた「2000」の数字、その下に描かれた赤く染まった8の数字。時計が午前零時を刻んだ刹那、画面の中に無表情のアナウンサーが現れ「8月3日になりました×××××……」と早口で日付が変わったことを告げる。

 世界は年明けなど迎えていない、ましてや此処は2016年でもない。日に日に速くなっているように感じる、急行列車の如く通り過ぎる私の日々、違和感と疎外感に満ちた生活や光景。除夜の鐘は鳴らない、一昨年以降、ノイズやテクノ、ハードコアばかりになった紅白歌合戦もやっていない、しかしそれでも、私だけが2016年元日にいるのだ。

 午前四時、まとわりついていた蚊も姿を消し、ひぐらしも啼くことを止めた。夜明けの淡い光によって、暗闇と静寂が猛スピードで流されてゆき、この世界における2000年8月3日、そして私の2016年1月1日の朝が始まろうとしている……(続く)