haiirosan's diary

散文とか

七月の眩惑

 7月の或る土曜日、私は白ワインの瓶を抱えたまま、青い水槽の水面に浮かんでいた。蛍光灯が煌々と照らす小さな部屋、消し忘れたテレビから流れるロールシャッハ、ジャワカレーと刻まれた玉葱の匂い。天井から吊るされた管は草臥れて、恐らく繋がれた誰かしらの生命を維持するという機能を果たすことに疲れてしまったのだと思う。壁にへばりつく針時計に目を向ける。時刻はまだ午前六時二十分だというのに、部屋の片隅にある温度計は摂氏三十二度を示している。濡れた肌からは銀メッキが剥がれ落ち、鼓膜は冷たい水の愛撫によって穏やかに揺らされる。

 私は唐突に青いスケボーと青いペプシコーラの700ml缶そしてカリフォルニアを想像し、青い水槽に満たされた赤い水をカーペットや床に溢しつつ、裸足のままで居間から玄関へと駆け抜けた。足下に散らばる花柄模様の硝子片で足を切り刻む。

 そういえば、私は昼夜問わずにベランダから間断なく流れる風鈴の音色の不規則なリズムのおかげで、一週間前に見事に心臓発作を起こしたのであるが、果たしてそれはギルビーウォッカ700mlを52秒で飲み干したからかもしれないし、BIG BLACKのラストライブよろしく、大量の爆竹が自らの半径70cm以内で700秒もの間、爆ぜ続けていたからかもしれない。そもそも、その風鈴は自らが「ニッポンの夏の風物詩といえば風鈴」という認識に沿い、喜び勇み足で設置したモノであり、自業自得ではないかとのFMラジオから流れる自称電波少年の的外れな指摘も受け入れるべきだと思った。

 私の青いスケボーはパウダースノーに満たされた雪道を滑ってゆく。通りすがる麦わら帽子の少年、邦題『夏服を着た女たち』。低く垂れる曇天、狐の慟哭、目の前で唐突にスリップした新型セドリックはガードレールに激突し黒煙を上げている。刹那の蝉時雨、十秒間のスコール、網戸の向こうの血走った視線。あの夏の思い出は現在進行形なのか。昭和四十年代の新聞には蚊取り線香による一酸化炭素中毒死事故の記事。

 バニラスカイ、澄み切った青と穢れのない純白がまぐわう空の下。金切り声を上げる鸚鵡の群れををサリンで殺した少年A(14)は気が触れたかのように低く垂れるナツメヤシの傷ついた手首を舐めていたが、やがて南ア諸島の最果ては-5℃のコンクリートと溶けかかったグレープ・ソルベで覆われたさむいさむい世界が待ち構えていたので、彼はペプシコーラをダストボックスに投げ込んでしまった。