haiirosan's diary

散文とか

赤いスカートと夕暮れの街 1

――夢の中で殺され、目が覚めた。歪んだ針が指す、PM12:00。私を縛る現実の轍から解放された月曜日。窓の外から聴こえる「ような」気がする幽かに聞こえる靴底の群れる音と、子供達の耳障りな嬌声が、心の隙間に突き刺さる。

 フォア・ローゼスの空き瓶、濁りきった瞳、汗ばんだ手をシーツで拭き取り、枕元の針時計に手をかける。薄ぼやけた眼に映る時計の針は、私が眠りに堕ちた時刻から一刻も動いていなかった。時が止まった……時が終った……世界が終ったのか?死体となった輪廻の告げ人を凝視し、ニタリと笑う。壊れたプラスチック、其処から惨めにはみ出した乾電池から漏れだす電解液の痛みが、テーブルを這い回る小さな蟲を焼いている。

 だが、そんな白痴の頭に浮かんだ幼稚な連想は、閉じられたカーテンを貫通する、鉄の塊のたてる轟音と、誰かの泣き声によって、うたかたの泡と消えた。嬌声、陰性、足音、車道は正常で世界は今日も健常だったのだ。

 絶望と失意の中で吐いた私の血は、白銀の大地の様なシーツを、赤美しく染めた。歪な円状の血痕は、憎々しい太陽よりも柔らかに、そして鮮やかに私を照らす。

 私は、今この時が限りなく100%に近い確率で朝であるということなんて、最早どうでも良くなるぐらいに、自らが脳内で生み出した真っ赤な夕日を見つめていた。空っぽの頭の中に鴉が飛び交う夕焼けの光景が広がっていく――。

 そうだ、今は皮肉な朝でも憂鬱な夜でも無く、きっと夕暮れ時だ。通り魔と少女、影絵と真実、極彩色と性的欲望、ポマードと黒猫。人面馬が引く馬車に乗った、異形なモノ達が開くサーカスが始まる、愛しい愛しい夕暮れ時に違いない! 私は子供の様に純粋な興奮と好奇心を抑えきれず、ベッドから飛び降り、二重に閉じられたカーテンを掻きむしる様にして開けた――。

 

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――裸になったガラスの向こうには真っ赤な夕空が広がっている。 それはまるで神が大量出血したかのように赤く、とぐろを巻く雲がヨタヨタと漂っている。その下を這いまわる人々は血と冷たい陽光を浴びて、灰色の地面に影を落としている。彼らの陰鬱な面持ちは、処刑台に向かう罪人のようだ。 

 私は世界を染めている汚れた血を浴びたいと思い、ショウケースにへばり付く子供のように、取っ手の無いガラスに爪を立てた。墓標に名を刻みこむように私は力を入れる。しばらくして私の細い指が震えたかと思うと、爪が不協和音をたてて、一枚また一枚と剥がれ落ちていった。美しい血と醜い肉が剥き出しになり、痛みが体内で泳ぐ。だが、その痛みよりもむしろ心を蕩かす様な興奮を感じた。それは自らの関節を外して脱獄したという犯罪者の気持ちにも似ていた。

「暗闇から光へ、閉塞から開放へ、飼い犬から野良犬になりたかった」 そう言い放った彼は、もう自殺してしまったらしいけれど。 ジクジクとした肉に突き刺さるガラスの冷たい感触が、快感とともに徐々に温かさに変わっていく。視界がぼやけ、血のように温い空気が、腕を、顔を、そして身体を柔らかに包みこんでゆく――。 ――裸足にアスファルトのざらついた感触が伝わった。はっきりとし始めた視界に映る路地を、うなだれる真っ赤な街灯が照らしている。閉じたゴミ箱と動かない車が、その光を浴びて、灰色のベッドで眠っている。歩き回る笑顔のミッキー・マウス。死体と手を繋いでいる笑顔の子供。鏡地獄に陥っているアナウンサー。ハッピー・スマイルから吐き出されるサッド・ボイスが心に染みわたる。

 酔酪したような心地よさを感じながら、私はその中を歩く。歩みを進めるたびに、すれ違ってゆくスマイルは血を吐き、土人のように踊りだす。ゴミ箱は目を覚ましたように跳ね始め、どす黒い血が滝のように溢れだす。動かない車のウインドウ・ウォッシャーからは血が噴水のように噴き出し始めた。街頭に群れる羽虫も落ちていく。鴉の群れが狂いだす。それはまるでサーカスの幕開け。終わらない夕暮れのサイケデリック・ショーの始まりさ!

 だが、こんなにも高揚感と躁に満ちた夕暮れなのに、未だに這いまわる人々はどこか憂鬱げだ。明日も不安、死んだ様な目、孤独、ループする人生。そんな憂鬱な気分を反映するかのように、彼らの影はさらに黒ずみ、長く延び始めた。それらの深い影がスルスルと伸び、生き生きと乱痴気騒ぎを起こしているモノたちに蛇のように巻きつき始めた――。

 

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――先刻まで狂い咲いていたそれらの弾けた笑顔が、影に巻きつかれることで苦悶の表情に変わり、生気に溢れていた肌が死体のように真っ青に染まり始め、路上に倒れ始めた。

 次々とスクラップの様になっていくモノ達を目の当たりにし、私は悲しみに震え始めた。その悲しみは心を漆黒に塗り潰し、高揚感に満ちた感情を殺意に変貌させた。

 消えていく笑顔と喧騒、滲む夕暮れの赤、這いまわる影と憂鬱。それらが私の中の殺意をさらに高めていく。錆びたカーブミラーに映った私の顔は、気の触れた口裂け女の様になっている。

 これ以上は壊させない。絶対にパーティは終わらせない。私は歩道に落ちていたコンクリート・ブロックをむんずと掴み、手近にいたイワシの様に死んだ眼の連中に叩き込んだ。

 その刹那、這い回る連中の死体の様な表情が、純粋な少年の様に輝いたかに見えた。だが、その表情は瞬く間に消え去り、ザクロとトマトが交わり合った様な残骸が路上に残るのみであった。真っ赤なジュースを身体に浴びた私は、目下の肉体から零れ落ちた眼球と目が合った。

 その眼は生前よりも生気に満ちていた。濁っていた白眼は、新鮮なミルクが溶け込んだかのように純粋な白に染まり、光の無かった黒眼は磨かれたダイヤの原石のように、美しく光り輝いていた。

 汚れた血の残骸。その中にも美しいモノがある。

 先刻まではサーカスの邪魔をする連中を、ただ怒りと憎しみの感情のおもむくままに惨殺することしか考えていなかった。だが、私は虫のように這い回る彼らに、紅美しい最期を迎えさせたいと思うようになっていった。

 私は粗暴であり醜い死に様を与えることしか出来ないブロックを使うことを止め、この世界の入り口である窓の下に散らばっていたガラスの破片を用いることにした。

 氷のように冷たいガラスの破片を一振りする。生暖かい空気に創痍が出来、そこから鮮血が流れだした。

 私はその血を飲み干し、彼らに飛びかかっていった。

 群れる彼らの間を、砂漠を凪ぐ一陣の風のように縫い、頸動脈を正確に引き裂いていく。噴き出す血はまるで打ち上げ花火。紅い空をより深く彩り、蝉のように儚く散っていく。

 彼らを屠るごとに、笑顔であったモノ達に纏わりついていた陰鬱な影が解けてゆく。血の花火が上がる度に、苦悶の表情が愉悦の表情に移り変わっていった。

 徐々にサーカスの活気が甦り始めた。車はホーンのようなクラクションを吹き鳴らし、ゴミ箱はフタを開閉し、ハイハットのようなリズムを刻む。そのリズムに乗って笑顔を取り戻したモノ達が、再びジャンキーの様に踊り始めた。

 アアアァ~咽喉が鳴ります牡蠣殻と音頭を取ります吸殻と。夕日のミラーボールの下、道端に立つベルリン交響楽団の指揮者も著名な詩人も、今日は春歌を歌う薄汚い海賊のように踊り歌い狂え!私が供する真っ赤なワインにミッキーマウスはとびきりの笑顔!捨て猫みたいな子供の笑顔!乱痴気騒ぎは飛行船ツェッペリン号!脳は70年代ヒッピーフラワーロマンス思考!誰も彼もが刹那主義。手足が逆方向に曲がろうと首がもげようともお構いなし。ラストダンスを踊るかのように心から笑い、踊ることを楽しんでいるよフフフフ。

 私は彼らのエクスタシーを頂点に達しさせたいという、恋愛のように盲目的で一途な思いに突き動かされるままに、鮮やかな殺人を繰り返していった――(続く)