haiirosan's diary

散文とか

夕暮の水槽

 夕暮時、「私の」終末の日、目を細めて覗いた水槽には、確かにあの日水死した少女の死体が未だにうつらうつらと浮かんでいた。水面で円を描く鯉の群れ、私があの日に還るには、その穏やかな渦に飛び込み、息絶えることしか……。
 
 薄緑色の水槽、死体の胎内にいた記憶は霞み、僕の母は多分テレビの中に居るという誇大妄想。ベージュ、ピンク、ワインレッド、口紅の群れを溶かす声は垂直につま先1.5ミリメートルを鮮やかに、そして何処までも滑らかに割った。アスベストの壁にはたわいもないラクガキ、「君のお姉さんを殺しに行く」そう書かれた淡い桃色のスプレーペイントの下で120cmの影法師が踊る。
 夢も無く湿った午前3時、まどろむ天井から吊り下げられている殺したい程憎い女と殺したい程醜い鬼と殺したい程下らない自分がサンドイッチになっている。それすらも見切り品として誰かの胃の中で解れて狂ってゆく生糸。
 僕はお腹が空いたのかな?テレビをつける、光の着色、胎教に音楽、耳が潰れて目が眩むけれど、3分クッキングは狂信者によって殉教ショウへと姿を変えた。
 After 5,黒服の影が引き裂かれ、吊革の輪に怪物の残像が揺らめき続ける。各駅停車ですら、立ちくらむ電車の中、桜の花びらが散る妄想の外、ひび割れた車窓を染める赤黒い血飛沫と骨肉が脳髄を潤わす。桜の母親は死体だった、そう隣のセーラー服を纏った少女はブツブツと呟き続けていた。
 
 黒ずんだ藻が踊る水中、ピエロが自ら射し込んだポンプに無慈悲な青酸を流し込むと、次々と浮かぶグッピー、それに反比例するかのように沈む餌。それを覗く私の、歪な歯並びがイビツに笑みを浮かべて、君は、例えるなら阿鼻地獄のように赤黒い夕景にすら映える七色の風船を宙に浮かべたけれど、どうしても浮輪は投げ入れてくれなかった。
 ねえ、どうして?どうして? 彼女は泣いていたけれど、私は耳を塞いでいたからどうでもよかった。揺り籠がどうしてか血濡れている。どうして?覗きこむ――
 断末魔の公営アパート、サイレンの地鳴りが平穏な水槽の水面を不規則に揺るがす。

 水槽のクーラーが停まる。水槽に白い指を這わす。水槽に人魚の頭を沈める。水槽に間断なく浮かぶ泡を凝視する。水槽に絡まる海藻のオブジェとオブジェのような黒髪。ライムグリーンの水槽に舞う揚羽蝶の夢、これは現実なのか?疑う間に僕の影は消え去り、怪物と名付けた影もまた、十階建てのビルから蛍舞い散る貯水槽へと飛び降りて自殺してしまった。

 いつの間にか戻った世界は、埃まみれのクーラーと、溶けた人魚の亡骸、からっぽの水槽と虚ろな生活しか残っていなかったらしいと1.5ミリメートルの窓の狭間から金魚が囁く夢で聞いたような気がするんです。