haiirosan's diary

散文とか

瓶詰地獄の島

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――とある島に流れ着いた、三本のビール瓶。其々が数キロずつ離れた浜辺に打ちあがっており、一つは砂に埋もれ、もう一つは海藻や貝類と共に、そして最後の一つは打ち揚げられた鮫を捌いている最中に、それの腹の中から発見された。これらの瓶は荒波に揉まれ或いは鮫に呑まれて流れ着いたにも関わらず、ラベルや瓶には一切傷や汚れがついていなかった。また、強固な封がしてあり、中にはそれぞれ文章の書かれたノートの切り紙が入れられていた。文そのものは何時書かれたかの記載は一切為されておらず、そこに描かれた内容共々、非常に奇奇怪怪なるものであった――

 

 

第一の瓶の内容

 

……月日を忘れ、あらゆる場所を旅客船で旅をして周ることが生き甲斐の私は、或る日、不運にも海難事故に巻き込まれ、この孤島の海岸に生者としてたった一人、打ち揚げられた。

 冷たい海水で濡れた肌を撫でる、柔らかで温かな砂、空を舞う七色の羽を持つ極楽鳥、そして目の前に拡がる、深緑が生い茂る広大なジャングル……。

 浜辺には幾つか水死体が打ち上がっており、時折この島には死体が流れ着くのか、中にはかなり時間が経過したと思われる、白骨化の進んだ死体も転がっている。その中でも私と同時期に漂着したと思われる一体の真新しい水死体に、紅色の蟹が群れる、穏やかでありながらも不穏な海岸線。

 其処で聞こえる音は、眼前の森林から放たれる、何かしらの動物の殺伐とした呻き声や重々しい蠢く音、カモメの群れが放つ、軽やかな鳴き声と緩やかに砕ける波の鼓動。

 聞き慣れた機械や喧騒が織りなす音色は一切聴こえず、とても此処には「人間」が居る気配が無い。いつか何かの小説で読んだ、百年後の未来、栄華を極めた人類が様々な災いによって死滅し、野放しになった自然と動物のみが支配する、終末の世界の光景をふと想起した。

……ここは恐らく無人島なのであろう。そう考えると私は、浜辺に散見される、自身が乗り込んでいた船の残骸の中から、多少なりとも使える物を探し始めた。

 結局、私と共に漂着した使えそうな物資は、水が半分程入った水筒、三本の空き瓶と折りたたみナイフ。防水カバンに入った、鉛筆数本とノートが一冊、それにライターのみであった。

 暫くはこの島でたった独り、救助が来るまで生き抜いていかなければならないのか……。

 幸いにも最低限の水や火種、武器は手に入れた。だが、視界に映る、豊饒ではあるが、あまりにも未知であり野放しの大自然。背後を振り返れば、水平線が何処までも無常に拡がり、他の島や通りがかる船の影も形も見えない。

 これから、どうしよう。例えば今すぐにライターのガスを多少消費してでも、渇いた枝を集めて火を点けて煙が上がれば、若しかしたら何処かの誰かが見てくれるかもしれない。けれど、透き通った真昼の空に、苦労して点けた、か細い紫煙は鮮やかに溶け込んでしまうのだろうな、ああ……けど、今やるべきか、いや、それとも密林に何の算段も無く入り込んでゆくか……それとも……。

 紅い色彩が覆いかぶさる全裸の死体、目の前を飛び交う黒死蝶の群れを、ぼんやりとした私の視線が追う。不安、孤独、焦燥……様々な負の感情がアタマの中でグルグルと渦巻き、私の感覚を鋭くしてゆく。虫の囀る音、草木の擦れる不協和音……その時、鼓膜を震わせた、女性の艶やかだが、どこか舌足らずな叫び声。

「太郎サマァァァー タロウ様ァァァーおにさまコチラヨォォォ」

 そして、その声に呼応するかのように、異様に野太い男性の声が、鮮やかな緑の葉を揺らし、青い空の下で響き渡った。

「アヤ子ォオオオオオオオー アヤ子ォオオオオオオオー今行くぞォォォ」

 恐らく人間、しかも日本語をある程度は理解出来るであろう二人の声は、私がいる海岸からそう遠くはない場所から放たれているような気がした。

 確かにリスクはある。どんな性格・身の上なのか、そもそも何故この島に「彼等」はいるのかといった疑問は尽きないが、それでも、サバイバルの知識も体力も乏しい私が独りで救助を待つよりは、彼らと合流した方が生き残る確率は高いし、瞬く間に大自然が生み出した、楽園の様な美しい地獄に呑み込まれることはないと考えた。

 だが、この環境下では、いつ死を迎えるか分からない。そこで、もしかしたら誰かに発見されるかもしれないという、一縷の希望と絶望的なまやかしと共に、空き瓶の中に私が絶海の孤島で見た事物の記録を封入し、それを流すことにする。瓶詰の地獄或いは天国。それは虚構の物語ではなく、実在しているものだと私自身が語り継ぐか、それとも、この瓶が――

 

 

第二の瓶の内容

 

――翡翠色の波にゆらりユラリと穏やかに流されてゆくビール瓶。それを見届け、私は叫び声が放たれたと思われる密林の方へと歩みを進めてゆく。

 蒼い砂漠と砂塵、容赦なく照りつける太陽の光。全身がずぶ濡れであった時分にはそれらが心地よくも感じたが、今となってはすっかり渇ききった喉と身体に、それらが無軌道に放つ、途方も無い熱気にアテられ、すぐにでも腐乱死体にでもなってしまいそうな心持ちである。

 密林に入ると、其処は太陽の過剰な光も射し込むことが無く、世界を覆う穏やかな緑と所々に生る見たことも無いトロピカル・フルーツのたわわな実、そして生い茂る原生林が生命の息吹を感じさせてくれる。大地を真っ二つにして緩やかに流れる、小さな川も非常に透明度が高く、清らかな水が輝いている。

 此処は地獄ではなく楽園ではないか。水筒に水を補給し、それを一息に飲み干すと、その途方も無い美味さに生き返った心と体とが、私にそんな感覚すら憶えさせた。甘味をたっぷりと含んだヤシの実、九官鳥や鸚鵡、極楽鳥の群れ、希少価値の高い艶やかな色彩の蝶がひらひらと舞い踊る。海岸で聞こえた動物の殺伐とした呻き声やその声の持ち主は見当たらず、自らに害を成す生物など皆無ではないかとさえ思える程であった。

 歩みを進めると、湿り気を帯びた大地に、成人男性と思われる足跡と、女性と思われる足跡が、私が進んでいる方向に足先を向けてついていた。さらに、何かしらの動物のモノと思われる夥しい量の血痕が、地面を鮮やかに濡らしていた。

 やはり人間が……生々しい血液の匂いと、それに反比例するかのような無機質な足跡にたじろぎながらも、それらの足跡や血痕はまだ真新しいことを確かめて、その後を踏み消すかのようにして辿ってゆく。

 進めば進む程に、道は緩やかではあるが傾斜があり、足を若干ぬかるんだ地面に捕られる感じも含め、永延と続くかのような坂を登っているかのような状態に陥る。空間を満たす緑は暗いトーンを深めてゆき、遥か天上で輝く太陽が入口付近よりもさらに遮られ、時間の感覚が無くなってゆく。厭に静けさを増す密林の世界。虫の音や鳥の泣き声すら聞こえなくなるまで歩き進んだ頃、木々が不自然な程に開けた場所から放たれる、白く淡い光が見え、私はその光に向かって駆け足で進んで行った。

 

――辿り着いた其処は、私が流れ着いた海岸からそう離れておらず、生茂っていた深緑の木々も少なくなった小高い丘のような場所であった。不気味な大小の岩が無数に鎮座し、不規則に伸びた雑草があちこちに生えているこの丘はまだ島の中心からは離れているが、ここからは島の大半が見渡せる。

 だが、島は所々にこうした小さな丘や海岸に沿った崖のような、草木が少ない場所が点在しているようには見えるが、やはり殆どがジャングルに覆われており、その下で何が蠢き、何が行なわれているのかは完璧に隠されてしまっている。そして、豊饒な生命が跋扈するジャングルとは対照的に、この場所には生命の息吹が一切感じられず、遥か彼方で鳴り響いているかのような潮騒の音のみが、荒涼とした空間を支配している。

 足跡と血痕は丘の入り口で途絶えており、此処にそれらの持ち主が居るに違いない。私は丘を探索し始めた。時折吹く、肌にへばりつくような潮風によって不気味に揺れる雑草、隠れ場所を作るかのように乱立する大小の岩石群……。ざらついた地面を慎重に歩き、確かに此処にいるはずの私以外の「人間」の痕跡を探す。

 ジリジリと肌を灼く太陽の下、暫らく探しまわると、奇形の岩や雑草がまるで崩壊寸前の城壁の様に囲いを形成している場所に、雑然と散らかった様々な動物の骨の残骸、つい先程まで火が付いていたと思われる、黒焦げた焚火の跡。そして、生焼けのまま乱暴に解体された、猪の一種と思われる巨大な動物と……醜く水膨れした人間の亡骸が残されていた。

 それらの肉は何か鋭利な刃物の様なモノで雑に切り刻まれ、歯型や涎の付いた肉片が所々に散乱している。臓器は完全に生の状態ですべて抜かれており、木の枝で簡易的に作られた物干し竿にダラリと掛けられており、ぶら下がった内臓には蠅や小さな無数の虫がブゥーーン、ブウゥーーンと飛び回り、所構わずたかっていた。堕天使のように醜い白い蛆の群れと、悪魔の様に血肉を蹂躙する黒い群れの饗宴……。

 蠅に覆われたその物干し竿の下には、赤黒い血に染まる、真っ二つに折られた一本の短い鉛筆とズタズタに切り刻まれたノート、そして、石で造られたような刃物が深々と突き刺さった、半分焼け落ちた『新約聖書』が置かれていた。

 さらに、物干し竿から離れた場所には、「得体の知れない何か」に対する信仰を表すかのように、人骨を無作為に組み合わせ、そこに衣服がこびり付いた人間の皮膚、ミイラのように渇いた畜肉を思い付くままに貼り付け、不器用に縫い合わせて形成したあまりにも不気味なオブジェが鎮座しており、それの前には腐りきったヤシの実やトロピカル・フルーツが幾つも供え物として置いてあった。

 オブジェに強引に捻じ込まれたと思しき、猪の黒点の様な眼。食い散らかされた人間の乳白色に染まった哀れな瞳……吐き気を誘う人肉と腐った果実の臭い、白昼夢のように狂った現実、渦巻く網膜の中で飛び回る蟲……、揺らぐ太陽が溶かす世界、丘から見える水平線は紫に染まりつつ歪み、空を飛び交う極楽鳥は腐乱死体と化して墜ちてゆく。

「アアアアアアアア、ワタシタチノおうちに生きた食べ物がいるワァァァァ」

「オオオオオオオオ、新鮮な肉だ新鮮な肉だアアアア」

 暫くの間、呆然と立ち尽くしていた私の鼓膜を震わした、嬌声と怒声。それらの声の方向を振り向くと、70メートル程先に、異様に筋肉質で赤黒く日焼けし、見たことのない様な奇妙なペイントや逆十字が、動物の血や泥と思われるモノで顔に施された裸体の男女が居た。

 まるで「兄妹」の様に雰囲気や容姿がよく似た二十代と思しき二人は、激しい息遣いと共に、その濁りきった瞳を見開き、薄笑いを浮かべながら私を凝視していた。その視線は私を人間としてでは無く獲物として認識していることは明らかであった。不意に投げられた石刀が私の右足に突き刺さったが、不思議と痛みはない。

 天国の様なこの島は、食人や神への冒涜を行なう、人間であることを辞めた二体の悪鬼が跋扈する地獄であった……。彼らに対して抱いた、かすかな希望と同じ「人間」を見つけたという想いは今ここで完全に潰えた。唸り声と共に草や岩を避けつつ迫りくる彼ら、その速さと足音は人間のそれではなく、まるで飢えた獣のようである。

 今日この場で私の命は二匹の獣によって凌辱され、尽き果てる。瓶詰の地獄、それは虚構の物語ではなく、実在しているものだと私自身が語り継ぐことは、もう出来ない――

 

 

第三の瓶の内容

 

オトウサン、オカアサン、ボクタチ兄妹ハ、コノシマデ仲ムツマジク、タワムレナガラスゴシテイマス 助ケ舟ト、オ父サマ・オ母サマノ幻覚ヲ見テ、死ヲエラボウトシタ、アノ日ノヨウニ、餌ガモッテイタ、二本ノ瓶ヲ崖ノ下ノ鮫ノイル所ニナゲコミマス。オシエラレタ神様モ捨テ、人間ノ世界ノコトモ忘レテ、地獄ノヨウナ天国デ、快楽ト欲望ノママニ生キル幸福ナ2人ハ今日モ元気デス           市川タロウ 市川アヤコ