haiirosan's diary

散文とか

Skyblue Stew,Sleep Suicide

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――金属質な鍋底で刻まれた玉葱がタンゴを踊る。皮膜が剥がれるステップ、甘味と臭いに涙する少年はきっともうKFCとMACでサイズミー、HATE MEな人生を送るのかなぁ。澄みきった青空の下、まるで炎天下の昼空のように熱を振り撒く肉が嫌いの僕が、フリップに掲げる「10分煮ても充分じゃなければ死んでね?」のサインペンによる無慈悲な伝言板、ピーマン色のline、人参のように硬いMAILは死んだ零年代。かつてのSUEDEのブレッド・アンダーソンのように、貧しかった家では玉葱が御馳走とはまた妄想の目の前には獣肉が青く、ただ蒼く啼いている午後5時。
4bloc party,Ms.BrownStonne,水道水は熱帯低水圧、石突き、乳白色のマッシュルームの毒性、パプリカが魅せる、廃墟となった遊園地と観覧車の橙色で現な幻覚、挽き肉の悲劇と旨味を僕らは189yen townで買うSwallow Tailの紫は菜食主義者の殉教を招くほどに生々しく愚かしく。
けれど、幽かに僕と君とを夕暮れか朝焼けの曖昧な渦の中で綺麗に、そう、とても綺麗に繋いでいることが、ほんの僅かにまだ生きてもいいんじゃないかって思った刹那に観たデジタルの風景は、遠い明日と近くする為に死に往く人々の哀しみ、といえばまだ感傷的だけれど、そこには虚無と灰色しか無いって何故か思ってしまったことに僕の虚ろで壊れた内面が映し出されているような気がしてしまったんだ。
彼らの憂鬱は僕にはワカラナイ。僕らは無駄に生きてしまっている間は常に悲劇の傍観者だって、糞餓鬼の頃から分かっていた。
どうしていつも感傷的にならなければならないのだろう?
どうしていつも感情的にならなければならないのだろう?
それが出来ればエモーショナル、僕にはできないからセンチメンタル。
シチュー鍋の中のような世界と人生。言い繕うが何しようが歳を取るほどに何となく出涸らしになってゆく僕ら。アタマと優しさの足りねえダシは多分、偉大なる大自然と極めて純粋なる生命の輪廻と摂理に好き勝手に呑み込まれるという思想は、途方もなくバカだけれど全く以てネガティブな想像ではないと思うよ。