――彼は橋の上で自らの緑ぶちの眼鏡を、幾度となく幾度となく、着脱可能なレンズを表にしては裏にしてという動作を繰り返していた。
彼に飛び去る飛行機が魅せる、砕け散る未来の暗喩以外にどんな比喩が視えるのか。
花火の影、シルエットみたく輝いては消える「彼」のみならず、鍾乳石で造られたその橋にいる、りんご飴が胴体に付いた少女或いは少年もまた、ヴァースを繰り返す曲のように、自らのニシキヘビのようなマフラーを表にしては裏に返し続けている。
林檎飴が蜜柑飴のように紐で首を吊る縁日の命日、冬至に悼辞に読み上げた言葉は「りんご飴の胴体は赤く艶やかでなければならない!」と。
蟻よりも揚羽蝶が群れる透明さ、僕らが剃刀で眼を切り刻む度に眼鏡の度数は上がる、僕らの心拍数は下がる、僕らの意味を喪う世界と視界と触角の愛撫。
透き通る水晶体
水の中に映るネガ
歪むのは
1999、マフラー絡まる冬の朝、吐く息の白さは息絶える前の静かな夏のようで、プールの水面下にいる僕はどうしても息よりも無垢な泡を吐きだしたかった。
苦悶のサイダー、死斑とシードル、共犯の消毒剤の泡の味は果実か 無実か
泡のように生まれ 泡のように淡く消え逝く蝶。
踊るその姿は線香花火にも似ている 墜ちるその姿は枯れ葉にも似ている
屋上 飛び降りは季節外れだと彼は云う サンシャインも閉鎖中だと彼女も云う
傷一つなかった、とある美しい林檎をプードルが無邪気に噛み砕く時、確かにニュートンの肖像も笑みをこぼしていた。それが僕のコンタクトレンズが渇ききったことが見せる、奇怪な幻覚だったのか、それとも