haiirosan's diary

散文とか

ロックンロール&アルコール・アンコールは?

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 酒とロック、酒と音楽。その密接な関係は、酔いが回れば回る程鮮やかさを増す歌声、心を掻き乱す旋律の鮮烈さに戦慄する感覚に、まるで二人手を繋いだまま、着地点も知らずにスカイツリーから永遠に飛び降り続けているような――

そう、寡黙と沈黙の支配するバーの片隅。或いは小さな自室、テレビも消して、クーラーも無言の夜。侘びさびの諸行無常、酒と女は泪のグラスで抱き合っている、酒と男は泪を肴にワルツを踊っているとでも嘯いてしまうようなアンビエントでムーディーな夜を過ごすには、所謂ゆとり世代の私にはいささか若すぎる。

そうなれば、やはり熱狂的で病的、熱く且つ冷めきった音楽が無ければ、孤独な好い酔いの酩酊酒を呑むことなどできない。フードファイターが水なしではホットドックの大食いで大記録を出すのが困難なように、ナルト巻きがなければ、昔ながらの中華そばが出来ないように、三つ葉がなければ親子丼が成立しないように。

 さて、ウィスキー1杯目、まずは60年代から聴こう。そう思いひっぱり出したのは、 MC5 『 KICK OUT THE JAMS 』

https://youtu.be/vfKhvzUdJoM

 彼らは政治団体との絡みが強く、レーベルから解雇されようが「マザーファッカー」を叫び続けたいわくつきのバンドだというイメージが強いが、そうした、どこか内的でネガティブな印象を真正面から殴り倒すような、滅茶苦茶で轟音な演奏。兎に角目立ちたがりのソウルフルなボーカルに被さる、これまた目立ちたがりの弾きまくりギターと全員コーラス&まくし立てる MC 。そして「お前が欲しい」「一騒ぎしようぜ」「俺はお前の男さ、ベイビー」といった、豪速球ストレート160キロな歌詞。

 小細工なし、小奇麗な演出もなし。灯油じゃなくてガソリンとアジテートで、ヒッピーのバーベキューの炎を強引に割り込んでくべているから、肉も野菜も爆発で炭になってしまっている。そんな光景を見れば、ウィスキーをもう1杯、ストレートでおかわりせざるを得ない。持ち球が直球しかなかった68年当時の彼らに倣って。

 咽喉や心臓が焼けるようなウィスキー、ストレートとガレージパンクは灼熱で身体と心を無軌道に燃やし続けるので、少しばかりの炭酸と、70年代のブルージーなフレイバーでクールダウンを。

  LED ZEPPLIN 、彼らはロックンロールやブルースのみならず、フォークや民族音楽等、様々な音楽を貪欲に吸収し、それを比類なきオリジナリティに溢れる作品へと変換していった。その巨大化してゆくバンドの中で、ジミー・ペイジのライブにおけるギターは、どこか人間味や大人の哀愁、そしてその蒼と並行して、少年のような(青さ)を湛えているような感覚を覚える。

 特に、ライブ盤『永遠の詩』に於けるスローなブルース曲、「貴方を愛しつづけて」での艶と悲しみに満ちたフレーズ。それとは対照的に、イントロの即興も含めて、ミスやズレも構わずギターソロを弾きまくるその姿は、ウィスキーボトル片手に大人の階段の踊り場で立ち止まり、ハーフ&ハーフの態なドヤ顔でヤンキー座りをし続けているような印象を受ける。

https://youtu.be/_ZiN_NqT-Us

 もう成功したし、強い酒でも呑まなければバンドも人生もやっていかれない。けれど、甘いコーラで大目で割らないと呑めない。そんな大人の感性と若々しい感情の融合が、彼の演奏、そして色彩豊かな ZEP の音楽に、純粋さと濃い青を刻みこんでいるのだろう。

 そういえば、レミー・キルミスターもコーラ割を愛飲していたが、彼の場合はウィスキーのコーラ割ではなく、コーラのウィスキー割である。呑み方が粋というより狂気。

https://youtu.be/3qSpvcKerGY

 ここでビールに交代。強い酒を続けて呑むより緩急をつけた方が気持ち良い、そう90年代、グランジロックのようなソフト/ラウド、静と動のように。
 グランジといえば、やはり NIRVANA がその第一人者であるし、私自身の音楽の目覚めのきっかけでもあるが、酒、ことに麦酒を呑む時は MUDHONEY を選んで聴く。

 アルバム名に『 Super Fuzz Big Muff 』と冠する通り、彼らは歪みエフェクターにファズを多用している。ギターはジュワジュワとした発泡性のひしゃげた音色で、それが鼓膜をジリジリと刺激するのだ。

https://youtu.be/_nGsT_qFMBs

そのブッ潰れた身体で跳ねまわる音は、どこか発泡酒を想起させる。ビールではなく、どこかチープさを漂わす(発泡酒)を鼓膜で呑んでいる感覚に陥るのだ。マーク・アームの塩っ辛く突き刺すような歌と叫び、脂っこく重く乱打するビートを肴に呑む麦酒っぽい酒、グラスの泡の動、琥珀色の静。

 そして、鼻から発泡酒、血管から発泡酒、新ジャンルで鼓膜から発泡酒という、第3のビールを体感すれば、ボロボロのジーンズ、穴のあいたスニーカー、ネルシャツで冷めきった渋谷スクランブルど真ん中にてヘッドバンキングしようが、六本木のクソッタレな高級パーティに泥酔して殴り込もうが、 NEVER MIND (気にするな)の精神を保てる気がする。

https://youtu.be/1khy9_E4h44

さて、炭酸で腹も膨れたところで、泡のない10年物の赤ワインと共に、 90s から80年代にカムバック。

THE SMITHS の繊細さ、儚さに充ちたポップなメロディー、そして、どん底且つひねくれていて、どこまでも文学的な歌詞は、優しさと辛辣さ、渋味や難しさと心にスッと沁みる味わいを同居させているワインと似ている。うちに帰りたくなる音、今でも病んでいる歌、心に茨を持つ音、 DJ を吊るし上げる歌。

https://youtu.be/GeG-7MYaqA8

80s は MTV の台頭もあって、映像を伴った煌びやかな音楽が表舞台でタンゴを踊っていた。その一方で、ノイズやハードコアパンク、ニューウェーヴといった、その後のオルタナに繋がる過激な音楽が裏路地で盆踊りを踊っているという、裏表が激しく、且つどちらのシーンも盛りあがっていた。

光り輝くコインの表と錆びつきながらも凄味のある裏。 THE SMITHS はその狭間にいた、ギザ十のギザギザのように希少な存在だったと思う。

ところで、先刻からモリッシー&マーの出会いのように、ドアをガンガン叩く音が聴こえる。モリッシーの気分で開けてみれば、マーには似ても似つかない隣人の Charming Man が一言「音楽がうるさい!」と。

土下座のち嗚呼、気づけば丑三つ時、コンポの音量は17に達していた。ウィスキーもビールもワインも、そして音楽も嗜んだし、そろそろシメよう。

明日は二日酔いか、それともロックンロールの続きか、そんなことをふと思いながら酒瓶を片づけ、コンポの電源を落として、今宵の酒と音楽に別れを告げた。