haiirosan's diary

散文とか

コンクリート・アイスクリーム・ベンチ

「昨日公園」という名のベンチに映る鏡をかがみのかみと紙を髪を結わえるままに、波乱なき千草はにがよもぎの悲劇を映すかのように枯れていった。

 あまりにも神が余剰な生産ラインが流される、ちゃぶ台がひっくり返ったままの居間に陣取るTVスクリーン。アイスクリームと風船の吸い過ぎで昏倒したママの、その背景に描かれたのは、致死量であるはずの娘と息子の敗血であることに、どうして電線に停泊する鴉たちは気がつかなかったのか?

 そう、葬を繰り返すオーケストラが仕掛けた銃声のファンファーレ。公園が最早バルカン半島の火薬庫のような狂態を示すことを、円卓上の中華料理は油と凝固したグルエースの痕跡を提示し始めていた。

 確かに桜はいつか散ってゆくし、八重桜のスカートもやがては色褪せてゆく。貴女が轢断した公園の空席もきっと、代替えのマネキンが剥きだしの白骨を俯瞰させるかの如く、「この世界のヴァニラの白は偽物だ!」と泣き喚きながら、アイスクリームパーラーを襲撃するあの町の住人の純粋な行動を模範すべきだと思う。

「コーンカップの狭間に存在する宇宙を、そろそろ手に入れなければね」

――深夜二時のベンチをギロチン替わりに用いた、赤マントがそう嘯く。

火の車と化した「   」パーラーの焼け跡を想像する度に、30円のチョコレートは壊れかけた笑いを浮かべるのが、なぜかフレーバー選択を十秒以内で求められる31歳のアイスクリーム・ショップ=人生を選択する時間――少なくとも長考できるような時間は私達には存在していないと訴えかけているような気すらした。

 暗喩に用いる薬物、渇いた笑いとコンクリート・ジャングル、そう、錆びゆくベンチの色すら、9回二死を諦めないたった一人の生存者すら、アスファルトではなくコンクリートのような無慈悲さに打擲されてしまうこの現実に、誰が砂漠のような氷菓の幻覚を夢見ることができるのだろうか?